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ギャグ漫画だけを描き続けていくのは至難の業?!




栄枯盛衰という言葉があるように、ある時期に高い支持を集めながらも、いつの間にか第一線から退いてしまう漫画家がいます。
漫画家も歌手や役者のように人気商売なのです。

メジャーで受けなければ活躍の場を少年誌出身なら青年誌、さらにはアダルトに転向したり、4コマ誌(少女漫画ならレディコミ)など別ジャンルに求め、それでも仕事が来なくなれば廃業となってしまいます。

その意味で消えた漫画家は少なくないのでしょう。
特に時代の流れと共に変化する「笑い」を軸にしたギャグ漫画は最たるもの。




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例えば、「トイレット博士」(1970年~1977年)のとりいかずよし氏。
とりい氏はその大ヒット作の後も、1980年代半ばくらいまでギャグ漫画を描いていました。

しかし、「ビッグコミックスペリオール」に1988年から連載された「トップはオレだ!!日本一のセールス男」以降は、ストーリー漫画に転向を図っています。
そのため、決して消えたわけではありませんが、師である赤塚不二夫氏の絵柄も失せて、ある意味で生まれ変わってしまったのです。

他にも今や評論家のようになってしまった小林よしのり氏。
その政治エッセイ漫画のタッチからは、「おぼっちゃまくん」を微かに感じるばかり。

赤塚不二夫氏と並ぶ人気ギャグ漫画だった森田拳次氏を師に持つジョージ秋山氏も、「パットマンX」などギャグから出発しながら、「銭ゲバ」や「アシュラ」と時代性を反映した異色作が続き、「恋子の毎日」や「浮浪雲」とやや落ち着いた感があります。

当初は適度なお色気を含んだ軽快なギャグ漫画を「少年チャンピオン」や「ジャンプ」、「キング」に連載していた柳沢きみお氏などは、1978年に「翔んだカッブル」を「マガジン」に発表してからは、すっかりラブコメの旗手となりました。

むしろ近年の柳沢氏はさらに進化を続け、「妻をめとらば」、「大市民」、「特命係長・只野仁」のような、アダルト色の強いシリアス物を多数手がけるようになっています。



また、山上たつひこ氏がチャンピオン連載していた「がきデカ」は1974年~1980年の作品です。
それ以前の1972年から1974年まで「喜劇新思想大系」を双葉社の「漫画ストーリー」に連載していました。

それは全共闘運動の残り火がまだ煙っていた時代の松本零士氏の「男おいどん」にも通ずるような安下宿の群像劇なのですが、下世話な笑いの中に哲学を感じさせる青年向けとして秀逸な作品だったのです。

もともと山上氏は貸本劇画からスタートし、伝奇的でシリアスな作品を手がけて高く評価されていました。
特に1970年にマガジンで連載された「光る風」は、再び軍国主義に傾斜していく近未来日本を描いた問題作で、これが物議を醸して打ち切りになったのです。

その反動で山上氏はギャグに燃えたとも。
しかし、「がきデカ」があまりにウケてしまい、山上氏は苦悩しました。

何しろ、「光る風」など社会派でシリアスな内容が連載当時話題となっていたため、「がきデカ」など破天荒な作風に移り変わったことで、「山上は当局に捕まり、人格改造を受けた」という噂がたったほどだったのです。

山上氏自身も、「大衆向けの作品にするほど、ギャグの毒が読み手に伝わりにくくなる。毒が僕の中に逆流して、自家中毒を起こしてしまった」と、読売新聞の特集(マンガ50年〉の取材に答えていました。

山上氏は1990年に断筆。
小説家に転向しましたが、再び筆を執り、2004年には中年を
迎えたがきデカを描く「中春こまわり君」を「ビッグコミック」に断続的に掲載しています。

一方でホラーマンガの第一人者として、また「漂流教室」や「まことちゃん」でも知られる楳図かずお氏は常に第一線で活躍し、タレント活動を精力的に行い、消えたと言われたことはありません。

けれども、ギャグ漫画作家としては、1976年からサンデーに5年に渡り連載した「まことちゃん」以降、1988年から1年間そのリメイク版を描いただけで、あとは1971年に同じくサンデーで連載された「まことちゃん」先行作品の「アゲイン」があるのみです。

18歳でジャンプでデビューした鴨川つばめ氏は、月刊チャンピオンで「ドラネコロック」をスマッシュヒットさせ、20歳で「マカロニほうれん荘」をチャンピオン本誌に連載し、一躍人気作家となりました。

しかし、最後の方は精神的に追い込まれ、作品も破縦し1979年に連載終了。
1980年には「ミス愛子」、「マカロニ2」を続けて発表しましたが、「マカロニ」のようにはいかず…

「少年キング」で東京ひよこのペンネームで「プロスパイ」を、後に再び鴨川つばめとして「少年マガジンSPECIAL」や「コミックトム」等で短編を散発的に発表しています。

最新の作品でも、 1997年11月号から1998年4月号の「月刊コミックビンゴ」で掲載されていた「塩味チーズ味」で、それ以降の作品はありません。
鴨川氏曰く「ギャグ漫画家の才能は、神様が一生の中で、たった一本だけくれた鰹節のようなもの」だとか。

細野不二彦氏なども「さすがの猿飛」や「Gu-Guガンモ」とギャグで地位を得た一人。
これらの作品も後半はシリアスな展開をしていましたが、そこに細野氏のその後の資質が現れていました。

ちなみに、鯉田達也氏の「コータローまかりとおる!」なども、1982年から1994年という長い連載期間に、どんどんそんな展開になっています。

こうしてみると、時代の流れによって笑いを追求しなければいけないギャグ漫画を描き続けることは至難の業…
連載が長くなればなるほど方向を修正したり、新たなジャンルに足を踏みい入れる必要があるようです。




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