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絶版になった名作漫画は意外と多い件




世の中には埋もれていた漫画や何かしらの理由で封印されていた名作漫画があります。
とは言え、封印された漫画と呼ばれる作品でも、一部修正を加えたり、断りのクレジットを入れたりして刊行され、今では容易に手に入れられる絶版作品も少なくありません。

けれども、未だ陽の目を見ない作品も存在することは確か。
一部の言葉や表現を差し替えたくらいでは済まない内容や設定があったりするからなのです。




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例えば、川崎のぼる氏が描いた当時としても珍しい西部劇「荒野の少年イサム」(1971年)。

あらすじは西部開拓時代のアメリカで、日本人の武士とインディアンの娘との間に生まれたイサムは、母親の病死後、父親とも生き別れになってしまうというもの。
そのため荒くれ者たちが巣くうキャンプで育てられるのですが、さらにお尋ね者の一家に拾われ、アウトローとしての銃の使い方を仕込まれます。

しかし、正義の心を失わずに腕利きのガンマンに成長していくのですが、人種差別や「武器は使う者により、正義にも悪にもなる」など、重いテーマが背景に盛り込まれていました。

如何に無法地帯のアメリカ西部が舞台とは言え、毎回のように拳銃がぶっ放されて善悪を問わずに人間がバタバタ撃たれるバイオレンスな内容が絶版となっている理由とされています。
また、黒人奴隷が鉄球付きの鎖でつながれていたりするのも、悲惨さが強調され過ぎてマズい描写なのでしょう。

「巨人の星」で知られる人気作家の作品のため、この「荒野の少年イサム」もアニメ化されましたが、もちろんハードな部分は出来るだけ避けて子ども向けの内容になっています。

他にも、エコロジーの時代を先取りしていた「オモライくん」。
石ノ森章太郎氏(当時は石森章太郎)の「原始少年リュウ」(1971年)は、先に連載されていた「リュウの道」(1969年)の古代編として企画された作品でした。

ストーリーもややこしいので、アニメ化に際しては漫画のSF的な設定は省略されています。
この作品も主人公がハーフで、肌の色が白いことで差別を受けてしまうのが問題作とされる理由です。

この漫画では肌が黒い方が主流派。
原始時代、赤ん坊リュウは凶悪な肉食恐竜チラノに生賛として捧げられるのですが、メスの猿人キティに救われ我が子のように育てられます。

しかし、そのキティをチラノに殺され、リュウは本当の母親を捜して苦難と戦いの旅を続けるというのがあらすじ。
恐竜と猿人と人間が共存しているのはともかく、いわれなき差別によって命まで狙われてしまうのが、テーマ的に好ましくないのでしょう。

「ハレンチ学園」や「デビルマン」などで少年マンガに性やバイオレンスの表現を取り入れた永井豪氏が、設定そのものの限界に挑んだのが「オモライくん」(1972年)です。
主人公の「オモライくん」を始め、メインキャラクターも「おこもちゃん」に「コジじい」と飛ばし気味で、徹底的に茶化した内容。

しかも、全編にわたって不潔ネタとお下劣ネタがてんこ盛りで、何度か復刻されたのが奇跡のような作品なのです。
ただ、暗いエピソードは全く描かれていないことが救いと言えば救いです。

「浮浪雲」や「ピンクのカーテン」など大人向けのマンガで有名なジョージ秋山氏は、数多くの怪作を描いたことでも知られ、絶版問題とは縁が深い人物。
「アシュラ」(1970年)ではいきなり第1話から、飢餓から人を食べ、我が子までも食べようとするショッキングな描写があり、掲載号が有害図書に指定されて波紋を呼びました。

「生まれてこないほうがよかったのに」と憎しみを抱えながら生きるアシュラを通して、人間らしさの意味に迫るという作品の意図は、全く無視されてしまった形です。

ジョージ秋山氏は「アシュラ」とほぼ同じ時期に、人間の善悪やモラルを描いた問題作「銭ゲバ」(1970年)も連載しています。
タイトルに使われた「ゲバ」とはドイツ語のゲバルト(暴力行為)の略語で、学生の政治運動が盛んだった当時はよく使われていた言葉です。

極度の貧困から殺人を繰り返し、「銭のためならなんでもするズラ」と言ってはばからない青年が主人公で、こちらも表現上の問題から有害図書の扱いを受けてしまいました。

不可思議な主人公が正義とは何かを間う「デロリンマン」(1969年)も、今なお伝説として語られる衝撃作です。
主人公の三四郎は自殺未遂によって顔面を損傷し、精神にも異常をきたしているように(作品中でも暖味にされています)…

人間を救う使命があると思い込んだ三四郎は、自ら「デロリンマン」と名乗って愛と正義を説き続けるのですが、周囲の人々には相手にされず、子どもにまで蔑まれてしまうのです。
どうしようもなく残酷な悲喜劇で心に響くストーリーですが、精神病などの表現について問題視されることがある作品です。
ちなみにリメイク版「デロリンマン」(1975年)も存在します。

意外なところで、藤子・F・不二雄氏の意外な絶版作品。
古い作品であるため、現在の差別表現とは折り合いが付かない部分があるためです。

ただ、「藤子・F・不二雄全集」(小学館)にて、20年以上も単行本の増刷がストップされていた「オバケのQ太郎(1964年)の
封印がようやく解かれたといったこともありました。

大全集では「パーマン」(1967年)も刊行されていますが、このパーマンも名前の由来が「クルクルパー」ではなく、スーパーマンに一歩劣るという苦しい言い訳がされた作品なのです。

差別以外の問題、例えば作者自身のトラブルや特定の団体からのクレームなどによって絶版となったマンガの中で、有名な作品は宮下あきら氏のデビュー作「私立極道高校」(1979年)でしょう。

滋賀県に実在する中学校の校名や校章、さらに卒業生の実名が作品中に使われていたために、同地の教育委員会から猛抗議を受けてしまったのです。
事件は一般紙でも大きく扱われ、事態を重く見た版元は1980年9月号と10号を回収。
さらに次号をもって「私立極道高校」は打ち切りとなり、単行本も絶版となってしまいました。

宮下あきら氏はしばらくの謹慎期間を経て、ほぼ同じような内容の「激!!極虎一家」(1981年)で連載復帰し、学帽政を始めとする「私立極道高校」のキャラクターたちを多数登場させています。

これらは一部ではありますが…
このように名作ながらも、絶版漫画となってしまった作品も少なくないのです。




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