大胆なセックスシーンが世界中でスキャンダルとなり、主演のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーがポルノ裁判で有罪になってしまったのです。
家具のないアパートの空室で偶然出会った中年の男ポール(マーロン・ブランド)と若い娘ジャンヌ(マリア・シュナイダー)が、お互いのことも知らないままそこで密会を重ねます。
ポールの妻は自殺したばかり…
彼はその理由を求め、また妻の肉体に恋こがれてジャンヌを暴力的に犯していきます。
一方のジャンヌはその異様なアバンチュールにおぼれていきますが、やがて婚約者のトム(ジャン=ピエール・レオ)との自然な生活に戻ろうとします。
最後のタンゴのダンス。
ふたりの関係は消滅にむかいます…
互いの名前も過去も知らない。
日常から完全に切り離された孤島のようなアパートの一室で、男女が濃密な情事を繰り広げます…
安っぽいメロドラマになりそうですが、監督はベルトルッチだからそうはなりません。
すべてはポールの妻の死からわずか2、3日の出来事だったことを思い知らされて、観客はある種の感動を覚えます。
ポールは攻撃的で男らしい男ですが、次第にその男らしさを奪われていきます。
最後には若い娘に犯され、殺されてしまうのです。
監督のベルトルッチによると、この死は「誕生」を意味するのだとか…
だから、死んでバルコニーに横たわる彼は胎児の姿をとっているのです。
この映画では、大胆なセックスシーンが世界中でスキャンダルとなりました。
主演をはったマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーは、すべてをさらけだしアブノーマルなセックスシーンに体当たりするなど、俳優としては出せるものを出しつくして一定の評価を受けました。
しかし同時に、この映画で多くのものを失ったのです。
まず映画ですが、べルトルッチの本国イタリアで過激なセックス描写が問題となり、公開後4日にして上映禁止処分を受けています。
再公開は、1987年まで待たなければなりませんでした。
またイタリアでは、この映画のポルノ裁判が起き、出演者のブランドとマリアは出頭させられ、有罪判決を受けています。
演技をさせられた俳優にはなんの責任もないはずですから、ふたりにとってはとんだ災難です。
しかし、こうしたスキャンダルが追い風となって、アメリカでは逆に高い興行収益をあげています。
スキャンダルに巻き込まれたマリアは、その後ドラッグ漬けとなり、生活は乱れ、自殺未遂をはかるなど、70年代をほとんど棒にふりました。
80年代になりようやく立ち直りましたが、以降の映画では二度とヌードシーンを受け入れていません。
「こんな映画は二度とごめんだ」ともらしていたブランドも映画のことで私生活を狂わされ、その影響は彼の子どもたちにまで及んでいます。
ブランドには、4人の違う人種の妻とのあいだに全部で9人の子どもがいましたが、本作の撮影が行われた1972年当時は、最初の妻でインド系女優アナ・カシュフィとの間にもうけた長男クリスチャンの養育権をめぐってもめていました。
はじめはカシュフィがクリスチャンの養育権を勝ち取りましたが、彼女はドラッグと酒におぼれたため、クリスチャンは正式にブランドのもとにやってきます。
しかしカシュフィもあきらめていませんでした。
本作の撮影でブランドが不在にしている隙をねらって、彼女はクリスチャンを誘拐。
そして養育権回復の訴訟を起こしました。
法廷でカシュフィは「セックスを演じるブランドのせいで息子が笑い者になった」と、本作の演技が養育者にはふさわしくないと訴えています。
それが効いたのか、1974年、ブランドはカシュフィが息子に会う権利をしぶしぶ認め、訴訟は取り下げられました。
しかしこれで終わりではありません。
幼い頃からこうした両親の離婚、養育権をめぐる争いに巻き込まれて育ったクリスチャンの心のうちには狂気が芽生えていました。
32歳となった1990年、クリスチャンは異母妹のシャイアン(当時20歳)の婚約者ダーグ・ドロレ(26歳)を射殺するのです。
現場はブランドもいた自宅でした。
テレビを観ていたドロレを後方至近距離から発砲したものでした。
このときシャイアンは、ドロレの子を身龍っていました。
クリスチャンは当然ながら刑務所行き…
一方、婚約者を射殺されたシャイアンは、精神的ショックから1995年に自殺…
クリスチャンの狂気、それに巻き込まれた人々の不幸、これらはブランドの本作への出演に端を発しているというのは言い過ぎでしょうか。
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