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戦後の東欧諸国のほとんどは、ソ連の影響のもとで共産圏に入れられました。
ソ連の手によってナチス・ドイツから解放されたことで、戦後もソ連の指導で共産党政権が築かれていったのですが、ユーゴスラビアだけは違いました。
チトーという強い指導者がいたため、自立解放を成し遂げ、ソ連とは違ったタイプの社会主義国家を築いていったのです。
多民族国家ながらもチトーのカリスマ性によってバランスが保たれていましたが、1980年にチトーが亡くなるとそれが崩れ、91年、内戦に突入します。
ユーゴスラビアは解体し、やがて6つの国家に分裂して現在にいたります。
この映画が撮影された1971年は、チトーを統合の象徴として国家が厳しく統制されていた時代です。
ただ、地域や個人の経済格差が広まり、若者の不満が高まりはじめていた時代でもあるのです。
この映画、ネットにもアップされているのでご視聴いただければと思いますが、かなり前衛的です。
機関銃のようにまくしたてる主人公の青年のセリフ、バックに流れる革命歌、激しい手ぶれ&ズームをくりかえす手持ちカメラの映像…
これが70分つづくので、まずはこのスタイルに慣れる必要があります。
ちなみに手持ちカメラを使用したのには理由があって、当時の体制によってカメラの三脚が禁止されていたからです。
ただ、カメラ1台で街頭でゲリラ的に撮影しているので、どちらにしろ手持ちカメラを使用するしかなかったのでしょう。
ストーリーをおってみると、チトーの管理主義的な社会に囲われ、鬱屈した不満のはけ口を探す非行青年が、「人生、思い切り楽しむんだ」と言って、自動車盗難、殺人、ドラッグなどの愚行をくりかえします。
警察の拷問をくぐりぬけた青年は、仲間を引き連れて、銃を撃ち鳴らしながらショッピングセンターの洋服店を襲撃します。
さらには、巨大なユーゴスラビア・ホテルを襲撃して龍城すると、サロンで乱痴気騒ぎをはじめます。
記者会見を開き調子にのる青年でしたが、ホテルは警官隊に包囲されました。
最後は銃撃戦の果てに川の桟橋に追いつめられ撃ち落とされます。
しかし、こうしたハリウッド的なロマンチックな結末は映画のなかだけのこと…
突然カフェの場面にかわり、「正義は映画のなかにしかない。人生にハッピーエンドはない」と語る青年…
映画のウソの世界には嘱されません。
現実を冷めた目でみる青年の姿があります。
そして、「僕は君の未来だ」という意味深なセリフで映画は終わるのです。
はじめは学生の自主制作映画かと思ってしまうほど幼稚な演出が目につきますが、クライマックスに向かってだんだんと映画のスケールは大きくなり、実はそれなりの人と予算をつぎ込んだ「大作」だったと気づかされます。
そんな映画です。
たびたび主人公がジャン=リュック・ゴダールの映画に言及しているように、この映画がゴダールへのオマージュとなっていることは確かです。
自動車盗難や殺人がからむストーリーのみならず、手持ちカメラによる街頭でのゲリラ撮影、唐突なクローズアップ、観客に語りかける異化効果など、映画技法の面でも多くの影響が見られます。
その意味では、ユーゴ版ヌーヴェルヴァーグ作品といってもいいのかもしれません。
監督のジョヴァノヴィッチは、この作品の前に2本のドキュメンタリー映画を制作しています。
将来有望な監督として期待されていました。
ところが、「バラ色の青春」に対する評価は厳しいものがありました。
この映画に宿る熱気に賞賛する声はあったようですが、反体制的な内容から多くのメディアや社会主義者たちの不評を買いました。
それもあって、何度か上映機会はあったようですが、結局、正式に劇場で公開されることはなく、テレビでも放映されませんでした。
ただし、正式な上映禁止令は出ていなかったようです。
35年の時をへて再発見されたこの映画…
もう一度、同じものを撮れといわれても絶対に撮れません。
なんとなくサバサバした首都ベオグラードの空気感、意外に垢抜けた若者たち。
そんな時代を収録したという意味でも貴重なフィルムであると言えるでしょう。
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