藤子不二雄氏による日本のギャグ漫画作品である「オバケのQ太郎」…
ドジで大食らいのオバケのQ太郎が、冴えない少年の家に居候。
そこで巻き起こる騒動を描いたギャグ漫画「オバケのQ太郎」は、藤子不二雄氏の最初の大ヒット作品です。
しかし、そんな超ヒット作が突然の長期絶版となってしまったのです。
一体何が起きていたのでしょうか…
1964年に「週刊少年サンデー」で連載開始した当初は反響が少なく連載は終了。
しかし、読者から再開を希望する手紙が多く寄せられて連載が復活。
以降、連載誌を増やして人気が沸騰し、翌年、TBSがアニメ化すると視聴率30パーセント以上を記録しました。
主題歌のレコードもバカ売れし、「オバQブーム」なる社会現象となりました。
その後も、1971年には小学館の学年誌で連載が復活し、「新オバケのQ太郎」として単行本化され、日本テレビが再度アニメ化。
1985年にはテレビ朝日の「藤子不二雄劇場」枠にて3度目のアニメ化がなされ、世代を超えた人気と知名度を誇っていました。
しかし、突如として単行本は増刷されなくなり、アニメの再放送もなくなりました。
また、映像がソフト化されたのは1985年版アニメがVHSになったのみで、DVD化はされていません。
この奇妙な状況に、ファンの間で様々な憶測が飛び交いました。
その一つが、厚い唇をしたQ太郎の風貌が”黒人差別”にあたると抗議されたために封印されたという説です。
実際、漫画版「オバケのQ太郎」には、同様の抗議によって封印された話が存在します。
「国際オバケ連合」の回は、世界各国を代表するオバケが集まり、平和について議論するストーリー。
作中に登場する、鼻輪に腰みのをつけた黒いオバケが、”バケ食いオバケ”と他国代表から差別されて「大昔の話だぞ」と憤るシーンがあります。
この表現が人食い人種を連想させ、黒人差別を助長するとして、絵本「ちびくろサンボ」を絶版に追い込んだ大阪府堺市の私設団体「黒人差別をなくす会」が1989年、小学館に抗議文を送り、同エピソードを収録した単行本が回収されました。
しかし、抗議を受けたのは「国際オバケ連合」の回のみで、Q太郎の風貌にまでは言及されておらず、これが原因で全シリーズが長期にわたって絶版になったかどうかは明らかではありません。
そしてもう一つの説が、1987年にコンビ解消した藤子・F・不二雄氏と藤子不二雄A氏との著作権問題です。
藤子・F・不二雄氏は「ドラえもん」や「パーマン」、藤子不二雄A氏は「忍者ハットリくん」「怪物くん」など、すでにそれぞれが代表作を持ち、単独で作品を制作していましたが、すべての作品を藤子不二雄名義で発表し、収入も均等に分割していました。
コンビ解消後は、それぞれの作品を藤子・F・不二雄氏の藤子プロと、あらたに藤子不二雄A氏が設立した藤子スタジオとで著作権を分けましたが、ここで問題が起きたのが「オバケのQ太郎」でした。
「オバケのQ太郎」は、2人がキャラ別に分担して執筆する正真正銘の共同制作だったため、著作権をどちらにすることもできず、絶版となったのではないかと噂されていたのです。
事実、単行本の増刷は1988年が最後とされており、コンビ解消直後の時期にあたります。
これに加えて、前述した黒人差別を指摘するクレーム、そして、1996年に藤子・F・不二雄氏が死去したことも重なり、長期絶版が決定されたのかもしれません。
2002年より藤子不二雄A氏の作品全集「藤子不二雄Aランド」が復刊ドットコムより発売されましたが、「オバケのQ太郎」は収録されませんでした。
その後、藤子プロ、藤子スタジオとの間で、どのような交渉があったかは不明ですが、最後の増版から20年の時を経た2009年、ついに小学館から「オバケのQ太郎」を収録した「藤子・F・不二雄大全集」が発売されました。
これには、他の藤子不二雄氏の合作名義である「海の王子」や「チンタラ神ちゃん」なども収録。
待ち望んだ封印の解禁に多くのファンが歓喜したことは想像に難くありません。
これからもアニメ版のDVD発売も含め、動きがあることが待ち望まれますが、長期絶版の真相は永遠に謎のままなのでしょう。
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