藤子・F・不二雄氏の名作「ドラえもん」。
今や日本を代表するキャラクターと言うだけでなく、一種の聖域のような漫画・アニメとなっています。
ただ、藤子・F・不二雄氏日く、当初ドラえもんを描くに当たって目指していたのは、「常識的に考えられない様な珍道具が、もし日常生活の中に出てきたら…と、そこから空想を発展させて行く漫画」とのこと。
一言で言えば、「生活ギャグまんが」とも藤子・F・不二雄氏は語っていたのでした。
実は当初はハチャメチャな展開と笑いこそ、ドラえもんの大きな見どころであり、読ませどころだったのです。
そんなドラえもんが、作者の藤子・F・不二雄氏の当初の思いやコンセプトとは、徐々に別の方向にズレていたという話がありました。
漫画・ドラえもんが最初に世に発表されたのは、1970年12月のこと。
この月に発売された小学館の1月号の学年誌・計6誌で、それぞれ一斉に連載が開始されています。
この6誌とは小学一年生から六年生までの6誌ではなく、「一年生」から「四年生」までの4誌、そして「よいこ」と「幼稚園」の2誌を合わせての6誌でした。
1973年4月号から「五年生」、「六年生」にも掲載されるようになるのですが、当初ドラえもんは完全に幼年層がターゲットだったのです。
しかし凄いのは、第1話の内容が「よいこ」や「幼稚園」含め、6誌全てで違っていたことです。
つまり藤子・F・不二雄氏は、同じドラえもんの同じプロローグで、6本分の第1話を描いていたのです。
現在、コミックスなどにも収録され、一般的な第1話として知られている「未来の国からはるばると」は、「四年生」に掲載されたもの(初出タイトルは「ドラえもんあらわれる」)でした。
他5誌の第1話と基本コンセプトにおいての大きな違いはありませんが、「未来の国からはるばると」は話の説明が一番細かくされていて、また未来ののび太の苛酷さも一層悲惨を極めていたのです。
しかし、それが描かれていないとは言わないまでも、いつしか愛と勇気と友情を描いたヒューマンドラマと評価されるようになっていき、作品とキャラクターの扱われ方をめぐる状況も変わっていきました。
作品としての読まれ方が変化していった事情には、一度、連載終了となった際の事実上の最終回「さようならドラえもん」(小学館「小学三年生」1974年3月号掲載)の影響が大きいと言われています。
そこで、ちょっといい話路線が加わり、さらに1980年からスタートした劇場版「映画ドラえもん」(第一作は「のび太の恐竜」)の冒険ロマンの感動路線が、そのままドラえもん自体を象徴するイメージとなっていきました。
しかし、1980年から毎年続いてきた劇場版・映画ドラえもんが、2005年だけなぜか製作されていません。
実は2005年に映画ドラえもんが製作されなかった背景には、作者サイドの関係者からの申し出があったと言われているのです。
実はこの申し出というのは、2005年の新作をどうするかという話ではなく、映画ドラえもんの今後全体に関してのもので、「大長編の映画シリーズ自体をもう取りやめたい」と訴えていたのだと言います。
それが本当だとして、作者サイドはどういう事情で製作中止を要求したのでしょうか。
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実は今のドラえもんは、故人の意志を越えたところでキャラクターや世界観が勝手に改ざんされていて、観るに耐えないと言うもの。
こうした状況には我慢できないので中止したいとの申し出だったとか。
製作中止以前の数作に関して、作者サイドは怒り心頭だったらしいです。それもこれも同時上映の「ドラえもんズ」含め、映画のドラえもんが原作から大いに離れてしまっていたため。作者サイドの要求は無視できず、2005年は一旦、映画を取りやめて、仕切り直しをする形になったようです。
と映画関係者からもコメントが出ていたとか。
製作サイドにしてみれば、映画ドラえもんはドル箱シリーズで、シリーズ自体の中止は絶対に避けたいところ。
そこでひとまず原作サイドをなだめ、一旦休止することで話を収めたと言うのです。
2006年からの映画ドラえもんが過去作のリメイクとなっているのも(第一作は「のび太の恐竜2006」)、こうした事情によるものなのかもしれません。
場合によっては、本当にシリーズ中止になってしまい、永久に消えてしまう可能性もあったのか…
映画シリーズのファンからしてみれば、いくら作者サイドの関係者の意見とは言え、一方的な製作中止はファンを無視しているという意見や見方もあるかもしれません。
しかし、作者サイドが本当にそんな要求をしたかどうかは別としても、ドラえもんが勝手に改ざんされているという意見は、まさにその通りだったとも言えます。
テレビアニメ版や派生作品含め、2000年代当初のドラえもんは一人歩きを始めていて、確かにキャラクターや世界観が勝手に改ざんされてはいたと言います。
その中でも象徴的だったのが「映画ドラえもん」。
ちなみにこの作者サイドの関係者というのは、遺族の一人だとも噂されています。
藤子・F・不二雄氏のことを思い、その作品のことを思う遺族からしてみれば、我慢できない状況だったのかもしれません。
作品が一人歩きを始めるという言い方がありますが、ドラえもんはまさに聖域とも呼べる作品。
当初、作者の藤子・F・不二雄氏にとっては「実験まんが」で「生活ギャグまんが」で、ハチャメチャな展開の漫画でした。
また、あるファンにとっては、愛と勇気と友情を描いたヒューマンドラマ。
ただ、裏を返せば、様々な楽しみ方ができる作品で、それだけ幅広い魅力が詰まっていたのだとも言えるでしょう。
実はドラえもん以外にも、漫画・アニメ界には多数の聖域とも呼べる作品が存在しています。
それこそドラえもんと同じく、現在までに国民的作品として人気を誇る長谷川町子さんの作品の「サザエさん」です。
この作品も、ある種の理想のお茶の間を描いているということでも聖域となっていますが、一方で、作者の意志が尊重され、その扱われ方には厳重な注意が払われていると言います。
それだけにYouTubeやネットなどでは様々なオマージュ作品やパロディ作品が存在していますが、業界では下手に触れず、手出しができないのだとか。
それだけ敬われている作品でもあるのです。
最近でこそ「サザエさん」が登場するCMも増えていますが、以前はなかなか二次使用ができない作品・キャラクターの代名詞でもありました。
何しろサザエさんをCMや広告のキャラクターに使用したいと考えたメーカーや代理店が、その申し出をした時に、まず何をさせられるかと言えば、東京・世田谷にある「長谷川町子美術館」を見学させられるという話もあったのです。
しかも、そこでは具体的な相談や交渉はNGで、ただただ関係者と一緒に美術館を回るだけ。
それで顔合わせと打ち合わせは終了なのだとか。
もし交渉の余地があってOKということになれば、再度、関係者から見学の要請があり、二度目の美術館回りをしたところで、やっと具体的な話し合いができるのだと言います。
もちろん、どこまでが本当かはわかりませんが、ドラえもんと同じくとにかくそれだけの作品だということなのです。
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