青葉茂は埼玉県の武蔵台高校に入学すると、元サッカー日本代表の選手だった父の遺志を継いでサッカー部に入部します。
最初は足が早いだけで使い物にならなかった茂ですが、不器用ではあるものの大きな伸び代を秘めた彼は、いつしかユース代表に収集されるまでになりました。
様々なライバルたちとの戦いで腕を磨いた茂は、必殺のブレ球を武器に、ついに日本代表としてW杯で戦うことになります。
気になる最終回では、W杯が終わり解散する日本代表チーム。
茂の次は次にどこを目指すのでしょうか。
イタリアに勝利し、W杯1次リーグを1位で通過した青葉茂たち。
茂と肩を並べた元武蔵台高校のメンバーたちも、あの頃を思い出しながら祝杯を挙げます。
決勝トーナメントは惜しくも4位で終わりますが、偉業を成し遂げた日本代表は、4年後の優勝を誓い、メンバーたちはそれぞれの舞台へと戻っていきました。
しかし、所属クラブを解雇されていた茂の進路は決まっておらず、多くのクラブの注目を集めることは疑いようがありませんでした。
そしてついに、茂はブラジルの名門フラメンゴへの移籍を決めます。
理由を尋ねる記者に、確かに一流の選手はヨーロッパのクラブにいるが、彼らを輩出するブラジルの底力は大きいと答えます。
そして最後に「僕の中では未だにブラジルはサッカー王国なんです」と結びました。
その言葉に米山監督は、若き日に茂の父・洋介と共にブラジルのサッカーを観戦したことを思い出します。
その直後に事故で亡くなった洋介の心は、しっかりと茂に受け継がれていたのです。
空港で、多くの人々の見送りを受けながら、搭乗口に向かう茂を、ハルオとジョゼが待っていました。
彼らもまた、ブラジルの別々のクラブに移籍することが決まったのです。
フィールドでの再会を約し、彼らは旅立ちました。
それからしばらくして、日本のサッカー場では、茂たちの活躍に刺激された高校生たちが、明日を夢見て汗を流していました。
イタリアとの激戦には興奮させられましたが、茂の伸び代はまだまだ残されています。
この後、ブラジルでどんな活躍をするのか、続きを読んでみたくなります。
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