漫画、特にジャンプやマガジンなどの週刊少年漫画雑誌を読んでいると、突如として「作者急病のため今号は休載します」というクレジットを見たことがあるのではないでしょうか。
「今週は休みなのか…」と次週を楽しみにしていると、そのうち作者の病欠は頻繁になったり…
実はこの漫画の連載休止には漫画家ならではの様々な理由があるのです。
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有名なところで言えば、江口寿史氏の「ストップ!! ひばりくん!」。
この漫画は1981年に開始されたものの、1983年以降は未完のままの状態が続いていました。
その後病欠ではなく、単純に原稿を落としてしまったために病気扱いにされていたことが発覚します。
実際には江口氏が行き詰まるようになり、連載を投げ出して締め切り日に逃亡したことから、編集部も打ち切りという形で連載終了を決定していました。
ちなみに、それから27年後の2010年2月27日。
「ストップ!! ひばりくん!コンプリート・エディション」の最終巻(第3巻)が発売され、ラスト5ページが加えられた最終話の完全版が発売され、一応の完結となりました。
逆に今でも同じように、その執筆を待たれている漫画家もいます。
「HUNTER×HUNTER」の冨樫義博氏です。
冨樫氏は1990年から1994年にかけ少年ジャンプで連載された「幽☆遊☆白書」が大ヒットしアニメ化もされました。
一方で、1994年に自ら発行した同人誌で連載時の辛さを告白。
続く「レベルE」は異例の月1連載で、1年で終了しています。
その後、1998年より満を持して「HUNTER×HUNTER」を開始。
ジャンプ王道のバトル物でありながら、心理描写に富み、あの「幽☆遊☆白書」を上回る傑作と支持されました。
けれども1999年のアニメ化と共にしばしば休載するようになり…
載っても下絵同然だったり(単行本化に伴い修正)、2006年にはわずか4回だけの掲載となったのです。
2007年の連載再開まで79週もの休載を挟み、その後も断続的な連載を続きました。
最長の休載は2012年16号から2014年26号までの2年2ヵ月。
2018年は1月29日発売の9号から4月2日発売の18号まで連載されました。
その後は休載を経て、2018年9月22日発売の43号から再開し、11月26日発売の52号まで連載された後に休載となり、2019年に入って現在まで休載が続いています。
遅筆や休載の理由として、アシスタントを使わないためとか、ゲーム好きで新作RPGが出ると仕事そっちのけで取り組むので漫画が描けないなど噂は様々。
けれども、「幽☆遊☆白書」連載時に抱えた神経衰弱が癒えないではないかというのが大方の見方です。
それでもジャンプが手放さないのは絶大な人気と、並み居る新人を凌駕する作品の面白さ。
ただし、休載告知に関しては、初めの「急病」の表記がやがて「作者の都合」とされるようになりました。
ちなみに、冨樫義博氏の夫人はあの「美少女戦士セーラームーン」の作者・武内直子さんです。
そんな武内さんも1999年の結婚以前に、1997年9月号から12月号まで「なかよし」に連載された「PQエンジェルス」にて担当編集が原稿を紛失し、そのまま終了になったことがあるのです。
その後、出産と育児休業に入るのですが、2002年の「ラブ・ウィッチ」、2005年~2006年の「とき☆めか!」と、休載からそのまま打ち切りや無理矢理完結に持ち込まれる作品ばかり。
とは言え、夫婦そろって漫画やアニメで数十億円は稼ぎ出したとのことで、生活には何一つ困らないのでしょうが。
また、この2人の仲を取り持ったのが、同じく休載を繰り返す「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」の萩原一至氏。
しかし、細密な画風の萩原氏は完全主義者特有のこだわり休載が多い漫画家です。
そもそもジャンプで1988年から連載されていた「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」ですが、一旦は作者の腰痛を理由に季刊の増刊スペシャルに移籍。
しかし、1997年のジャンプとマガジンの売上げ首位交代劇に伴いジャンプに呼び戻され、特例の月1連載となりました。
ところが、それでも作画が間に合わず、再連載2回目にして8ページも未完成原稿が載る自体に。
その後、2003年にウルトラジャンプに異動。
そこでも事態は変わらずというか…
さらに悪化し、萩原氏は20年以上のキャリアを持ちながら、完結した作品が一つもない稀有な漫画となってしまいました。
さらに、この萩原一至氏が師事した「きまぐれオレンジ☆ロード」のまつもと泉氏は、1999年のスーパージャンプでの久々の連載開始前に突如体調を壊し、2004年7月になってようやく、病名が4歳の時に遭った交通事故が原因の脳脊髄液減少症と判明。
2018年10月1日に1年1ヶ月振りにブログを更新し、2年に及ぶ闘病生活を経て活動再開を宣言しました。
また、アシスタント仲間の岡崎武士氏も代表作「精霊使い」を連載中に肺気胸を患い、同作を未完のまま終了。
2007年まで約10年近い、漫画家休業を止むなくされたのです。
2003年に中断された「コータローまかりとおる! L」の蛭田達也氏もずっと病気療養中でしたが、2018年に腱鞘炎の回復が思わしくないことから、漫画家引退を決断したことをツイッターで報告しました。
また、スピリッツ初期を支えた1980年代の名作「軽井沢シンドローム」のたがみよしひさ氏は、雁った精神疾患の数も並大抵ではありません。
腱鞘炎から始まりアルコール依存、そして自律神経失調症からパニック障害そして統合失調症と、どんどん心の病をこじらせて
いったのです。
そんな中、「軽井沢シンドローム」続篇の「軽井沢シンドロームSPROUT」は2002年から2006年にかけ月1ペースで、何度かの中断をはさみながら「ヤングチャンピオン」に連載。
結局は作者の腰の手術を機に漫画は終了している。
この腰痛を理由に休業状態にあるのが「ハイスクール!奇面組」の新沢基栄氏。
腰の様子を見ながら仕事をしていたために休載しがちだったにですが、2005年6月号を最後に中断しました。
しかし、新沢氏ほどのクラスになると、印税をしっかり資産運営に回し、今はアパート経営で左団扇という説も騒かれています。
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蛭田先生は引退宣言していません。そもそもtwitterをやっていません(HPは昔ありましたが)。2011年発刊の『マイケル教えて!被災猫応援の教科書』という本でショート漫画を描いたのが、最後に確認されている公の情報で、それ以後は一切のアナウンスはありません。