上映をめぐるごたごたが起きた映画として記憶に新しいのが「靖国 YASUKUNI」です。
日本在住19年の中国人監督の李綬(リ・イン)が、靖国神社にまつわるさまざまな事象を10年にわたり取材してまとめあげた日中共同制作のドキュメンタリーとなっています。
本作品は「反日映画」と呼ばれ、上映中止の危機をさまよった問題作なのです。
まず一連の経緯を整理しておきましょう。
ことの発端は「週刊新潮」2007年12月20日号に掲載された1ページほどの小さな記事でした。
この映画を「反日映画」とよんだその記事は、文化庁からの助成が出ていることや、映画のなかの日本兵の残虐行為を写した写真の真偽をめぐり問題提議しました。
この時点では大きな動きはなかったのですが、年が明けると自民党右派議員らがつくる 「伝統と創造の会」が文化庁に特別試写の実施を申し入れ、混乱を引き起こします。
文化庁からの依頼を受けた配給のアルゴ・ピクチャーズは、特定の右派勢力にだけ試写を行うことはできないとして、全国会議員を対象にした特別試写会を行うことで妥協しました。
3月12日、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催されたその試写会には、結局ほとんど保守系の国会議員や秘書ばかり、あわせて83人が集まります。
映画を観た議員たちは「助成基準にある『政治的な宣伝意図を有しないもの』に該当しないのではないか」と述べ、この模様がマスコミで大きく報道され騒動に火がついたのです。
映画館周辺での右翼団体による抗議活動、激しい電話攻撃……
連日のように重々しい報道が流れます。
これらは映画館を萎縮させるには十分だったのでしょう。
3月15日、新宿バルト9が上映中止を発表…
何かあったときの混乱を避けるためでした。
3月26日には銀座シネパトスも上映中止を決定。
上映中止の連鎖はとまらず、3月31日までに東京で予定されていたすべての上映館4館と、大阪1館が上映中止になってしまいました。
当初の公開予定は4月12日。
4月2日の朝日新聞夕刊には予定通りに全面広告が打たれましたが、この時点での上映館は5月公開の第七芸術劇場のみになっていました。
異常事態に陥っていたのです。
しかし、ここから情勢は一転します。
日本映画監督協会や日本ペンクラブなどから「表現の自由の危機」を叫ぶ声が高まり、当時の福田首相からも上映中止を憂える談話が発表されました。
そして4月18日、映画も観ないで抗議している右翼向けに試写会が開かれ、まずは映画を観てみようというムードがつくられていったのです。
一方、同じ頃、国会質問のなかから出演者をめぐる手続き問題も噴出していました。
刀鍛冶職人の刈谷さんが自分の映像の削除を求めていることや、映画のポスターなどに使われた男性が掲載を了承していない、といったものです。
刈谷さんをめぐっては、その後のマスコミの取材に対する発言で内容が二転三転し、真意がつかみかねるところがあります。
結局、映画は予定より約1ヶ月遅れで公開されました。
上映中止反対の世論の高まりに勇気をえた独立系映画館の渋谷シネ・アミューズなど、全国8館で上映されました。
そしてマスコミ報道が大きな宣伝となって、興行的にも好調な成績を記録しました。
もちろん今ではDVDで観ることができます。
どのような立場にあるにしろ、観る価値のある映画といって良いでしょう。
靖国神社のご神体は日本刀。
戦中は靖国刀という軍刀がつくられていました。
映画は、その最後の刀鍛冶職人である刈谷直治さん(当時90歳)を軸に、8月15日に靖国神社に集まる人々の様子を淡々と映し出しています。
英霊や天皇を称える者、旧日本軍の軍服姿で行進する一団、参拝に訪れる小泉首相(当時)、抗議運動を起こして暴行を受ける若者、台湾人の合祀の取りやめ
を求める台湾の人々…
終戦記念日、さまざまな人々の思いが交差し、もっとも熱気を帯びる場所、靖国。
報道では見ることのない靖国神社の生々しい姿があります。
やや素人感のあるカメラワーク。
対象外と思われるものが映り込んでも、編集でカットせずに見せているところはドキュメンタリーとして好感がもてます。
同じドキュメンタリーでも、メッセージ性が強くナレーションで語り尽くすマイケル・ムーアなどの作品とは対照をなすでしょう。
明治2年に設立された靖国神社がどのような役割を担ってきたのか、 それは戦中戦後で変わったのか、変わらないのか…
なにも知らなかった人間には勉強になるし、考えさせるいい映画です。
「この映画は日本に対する私の問いかけ」という監督の意図は、十分に汲みとれるものです。
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